この話は、実は人との関わり方にもつながる。
例えば誰かの行動に対して言葉をかけるとき、
よく似ているけれど本質が違うものがある。
それが
ダメ出しとフィードバックだ。
ダメ出しは、こんな感じだ。
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そこ違うよ
-
もっとちゃんとやって
-
それダメだね
これは評価だと思う。
つまり
「私は評価する側」
「あなたは評価される側」
という関係が生まれる。
すると人はどうなるだろうか。
多くの場合、防御が起きる。
言い訳をしたり、黙ったり、反発したり。
学びというより、自己防衛が始まる。
一方、フィードバックは少し違う。
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こう見えたよ
-
ここが面白かった
-
ここをこうすると伝わるかもしれない
これは評価というより、
観察した情報の共有だと思う。
「正しい・間違い」を決めるのではなく、
見えたことを差し出す感じだろうか。
だから受け取る側も、防御ではなく
「なるほど、そう見えるのか」と考えやすい。
「褒める」と「問いかける」
もう一つ似ているけれど違うものがある。
それは
褒めることと問いかけること。
褒める言葉は嬉しい。
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すごいね
-
上手だね
-
よくできた
ただ、ここにも一つの構造があると思う。
それは
評価の主体が外にあるということだ。
つまり
「良いかどうか」を決めているのは
相手だ。
だから褒められると嬉しい反面、
人は少しずつこうなることもある。
正解は相手が持っている
これが続くと、
人は評価に依存しやすくなる。
では問いはどうだろう。
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どこを工夫したの?
-
一番大事にしたことは?
-
もう一回やるなら何を変える?
問いは、答えを相手の中に戻す。
つまり
考える主体が本人になる。
経験
↓
振り返り
↓
言語化
このプロセスが生まれる。
これが、学びなのかもしれない。
実は「ダメ出し」と「褒め」は似ている
ここで少し面白いことに気づく。
ダメ出しと褒めは反対に見えるけれど、
実は同じ構造を持っている。
どちらも
評価する人
評価される人
という関係がある。
だから最近の教育や研修では、
「褒めること」よりも
問いかけることが重視されることが増えている。
問いは、相手を評価するためではなく、
相手の思考を開くためのものだからだ。
まとめ
ここまでを整理すると、こんな関係になると思う。
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ダメ出し → 評価
-
褒め → 評価
-
フィードバック → 観察の共有
-
問い → 思考を開く
つまり
評価が中心になるほど
人は受け身になりやすい。
問いやフィードバックが増えるほど
人は主体的になりやすい。
そんなふうにも見える。
