「もったいない」と感じた、対話の学びの瞬間
私が担当している講座での出来事。
2か月間、毎週1回の2時間の連続講座である。
参加されているのは、主に50代から70代の方々だ。
テーマは「横のつながりをつくること」。
この世代になると、新しいコミュニティを自分から作ることが少し難しくなる人も多い。
だからこそ、できるだけ多くの人と出会い、対話をし、刺激を受けてほしい。
そんな思いで、講座では途中の休憩時間に席替えを促した。
講座開始時は、これまでの回で一緒になっていないメンバー同士の4人島型。
休憩のあとには席を移動し、別の人と対話をする流れである。
ところが、ある女性4人組が誰一人席替えをしなかった。
休憩中も楽しそうにおしゃべりを続けている。
席替えがあることは、もちろん知っている。
近くには、彼女たちの席に入ろうとして待っている別の班の女性もいた。
その様子を見て、休憩中にそれとなく席替えの再アナウンスをした。
しかし、4人のうちの一人はこちらの様子を少し伺っただけで、また会話に戻った。
ここは大人の学びの場。
強制することはせず、本人たちの選択に任せることにした。
ただ、正直に言うと、少し「もったいないなぁ」と思った。
席替えは、単に多くの人と知り合うためのものではない。
講座ではジョハリの窓なども紹介しながら、
自己開示とフィードバックを短時間で繰り返すことを説明していた。
つまりこれは、人間関係をつくるための「対話の筋トレ」である。
日常生活でも、ビジネスの場面でも、
人と関係を築く力はとても大切になる。
その練習を、短時間で何度も繰り返す。
だから席替えにも意味がある。
そんな背景があっただけに、
少し惜しい気持ちが残ったのである。
しかし、話はここで終わらなかった。
講座の最後に、班での協働ワークを行った。
4人で対話をしながら創作をする、10分間の活動だ。
他の班では、互いのことを知ろうと対話をしながら創作を進めていた。
ところが、例の4人班では早々に2人がスマホを取り出し、
何かを検索し始めた。
これまでのワークの中で、
「アイメッセージで話すこと」
「ネットで出てくるような情報はいらない」
と、何度も伝えてきた。
それでも検索が始まった。
おそらく彼女たちは、この創作活動を
「答えを出す課題」
「効率よく進める作業」
として捉えたのではないだろうか。
長い社会経験の中で、
課題には正解があり、
効率よく進めることが良いことだ、
という感覚が身についているのだと思う。
だから情報を探す。
早く形にする。
これは決して悪いことではない。
むしろ社会では評価されてきた力だと思う。
ただ、このワークの目的は少し違う。
大切なのは成果ではなく、プロセス。
対話をしながら考えること。
相手を知ろうとすること。
自分の感じていることを言葉にすること。
つまり「対話そのもの」が学びだった。
もしかすると彼女たちは、
2時間ずっと同じメンバーで過ごしていたため、
「もうお互いのことは分かっている」
と感じていたのかもしれない。
だから改めて対話をする必要を感じず、
効率的に作業を進める方向に向かった。
そう考えると、
最初の席替えをしなかったこととも、
どこかつながっている気がする。
ただ、それでもやっぱり思う。
「もったいないなぁ」と。
対話の中には、
まだ見えていない自分や、
まだ知らない相手がいる。
同じ人と話していても、
問いが変われば関係も変わる。
その瞬間があるから、対話は面白いのだと思う。
とはいえ、今回の出来事を失敗だったとも思っていない。
大人の学びの場では、
何を選ぶかは本人の自由である。
講師が強制して動かすことは簡単だ。
でも、それでは主体的な学びにはならない。
だから、今回は踏み込まないことを選んだ。
今の彼女たちにとっては、
あの4人の関係が「最適な安心」だったのかもしれない。
そして学びの速度も、人それぞれだ。
場が続いていく中で、
いつか自然に揺らぎが生まれることもある。
講師としてできることは、
その可能性が生まれる場をつくり続けること。
今回の出来事は、
少しだけ「もったいない」と感じつつ、
同時に、
大人の学びの難しさと面白さを
あらためて感じた時間でもあった。
